はじめに
私が「神武」と「徐福」に関心を持ったのは、和歌山県の南紀熊野ジオパーク立ち上げのころだった。ジオパークは大地の公園という意味で、人が大地に触れその関わりと暮らしについて、人との交流を通じて考えることが大切。高知の室戸ジオパークでは、ガイドが空海を登場させ大地の隆起を説明していた。和歌山は、熊野が神武東征の経路になっており、大地との関わりがみつかるかと思い、『古事記』を読んだのがきっかけだった。読んで驚いた。
(中略)
さて、神武東征は、神武一行が南九州の日向から、安らかなクニを求めて東に向かう物語である。途中、大阪の難波から東の方にある生駒山の麓に進軍するが、そこで、登美の那賀須泥毘古(以後ナガスネ)の急襲にあい、ジンムの兄の五瀬命(以後イツセ)の手に矢があたり、イツセは「日に向かって戦うのは良くなかった。遠回りして、日を背にして敵を撃とう。」と言い残し死ぬ。そして神武一行は南下し、熊野村(和歌山県新宮市)で霊剣を得て、八咫烏(大きな烏)に道案内され、兄宇迦斯や土雲八十建(土着の数多くの勇者)を討伐し、最後にヤマトでナガスネと戦うことになる。
戦いのまえ、ナガスネはジンムに会見し、主である饒速日命(以後ニギハヤヒ)が天神の子である表として、天の羽羽矢(蛇の呪力を負った矢)と歩靫(矢を背負う道具)を見せた。するとジンムもまた天の羽羽矢と歩靫をみせた。ナガスネはそれを見て、畏まったが改心しなかった。主のニギハヤヒはナガスネを殺し、ジンムに帰順し神武東征は完了する。ジンムは橿原宮で初代天皇に即位する。
この物語のなかでいくつか疑問を持った。
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