本の紹介
内容紹介
徐福は、なぜ、東方の蓬莱山に向かったのか。神武天皇は、なぜ、東方のヤマトに向かったのか。
「天孫降臨」や「神武東征」神話に不自然な展開があり、天孫降臨ではアマテラスの子である天忍穂耳命から、急に、赤ちゃんだった邇邇藝命に交代し、神武東征では、東方に行こうといいながら、なぜか逆方向の関門海峡を通り日本海側に立ち寄っている。
弥生時代の渡来人は少数渡来だったのか、それとも大量渡来だったのか、考古学上の問題として残っている。奈良の纏向遺跡は、はたして『記紀』に記された纒向珠城宮や、纏向日代宮だったのか。
本書は、当時の日本列島の自然条件や考古学的な事実、さらに大陸の情勢を踏まえ、徐福一行の渡来の実現可能性を考察した上で、二つの仮説をたてることで、これら疑問をときあかしている。
各章の内容
本書は「はじめに」と八つの章、あとがきなどからなります。日本列島の大地と気候から説き起こし、弥生時代までの日本列島、天孫降臨と神武東征の神話、古代の中国と朝鮮半島、『史記』と徐福伝説を順にたどったうえで、第8章で仮説を立てて疑問を解いていきます。
- 第1章18ページ〜
まずは大地の物語から
ジンムが活躍した舞台は西日本の弥生時代であるが、本題に入る前に日本列島の大地のこと、気候、また日本人はどこから来ていたのか、日本人のDNA、日本語について簡単にふれておきたい。
ユーラシア大陸から分離し、二本に分かれた東日本と西日本が回転しながら移動してきた日本列島の誕生(「日本は二本だった」)から、地球規模の大気の流れと気候変動、ホモ・サピエンスのグレートジャーニー、ミトコンドリアDNAとY染色体DNA、孤立した言語としての日本語までをたどります。
- 日本は二本だった(日本列島の誕生)
- 地球規模の大気の流れと気候変動
- ホモ・サピエンスの誕生とグレートジャーニー
- 日本人のDNA
- 孤立した言語(日本語)
- 第2章52ページ〜
弥生時代までの日本列島
弥生時代までの歴史を簡単に振り返ったのち、弥生文化の象徴ともいえる稲作について考えてみたい。
後期旧石器時代・縄文時代・弥生時代をたどったのち、イネの原産地と伝播、畦畔で区画された階段式の水田稲作を取り上げ、「徐福は稲作を日本に伝えていない」と論じます。
以上、長々となったが、徐福が渡来したころ(紀元前二一〇年頃)、日本列島では中国とは違う、より高度な稲作を行っていた。
- 後期旧石器時代
- 縄文時代
- 弥生時代
- 徐福は稲作を日本に伝えていない
- 第3章94ページ〜
天孫降臨と神武東征
『記紀』に記された「天孫降臨」、「神武東征(東遷とも)」の神話は、後の世に、日本国家の形成に大きな影響を与えた。
二つの神話のあらすじを『古事記』と『日本書紀』からたどり、三品彰英・青木紀元・森浩一の指摘をもとに、物語の不自然なところを「新たな疑問④~⑦」として挙げます。あわせて『記紀』の違いと編纂の背景、天皇号・日本国号・辛酉革命についても考えます。
- 天孫降臨
- 神武東征
- 『古事記』と『日本書記』の違い
- 『記紀』編纂の背景
- 天皇号、日本国号、辛酉革命
- 第4章114ページ〜
古代の中国
徐福は中国の戦国時代末期から秦の時代にかけての人である。簡単に中国文明に触れ、始皇帝と徐福が生きた時代のこと、封禅と神仙思想、また古代の大陸と日本とのつながりについて考えてみたい。
黄河文明と長江文明、始皇帝が生きた時代、徐福の生まれた斉の国の歴史、海のかなたの神山に仙人が住むとした神仙思想、そして中国大陸沿岸部に登場する倭人と海人族を取り上げます。
- 黄河文明と長江文明
- 始皇帝が生きた時代とその後
- 斉の国
- 封禅と神仙思想
- 大陸と日本列島のつながり
- 第5章134ページ〜
古代の朝鮮半島
徐福が生きた時代を含め古代の中国人は日本列島や倭人をどのように見ていたのだろうか、朝鮮半島の出来事や中国の文献から考えてみたい。また、古代の九州北部と朝鮮半島南端を一体とする文化についてもふれたい。
『山海経』『史記』『漢書』『三国志』『後漢書』に見える倭と倭人、縄文・弥生時代の九州北部と朝鮮半島南端の一体感、そして朝鮮半島南端の「滅んだクニ」を取り上げます。
- 古代の朝鮮半島
- 中国の文献にみる古代の朝鮮半島と倭
- 朝鮮半島南端の滅んだクニ
- 第6章150ページ〜
『史記』のなかの徐福
徐福(徐巿)に関する文献で最も古いものが司馬遷の『史記』で、「始皇本紀」や「淮南衡山列伝」に記されている。
「始皇本紀」に記された徐巿と始皇帝の二度の謁見と、約九〇年後の「淮南衡山列伝」で将軍伍被が語る徐福を、小竹文夫・小竹武夫訳『史記』を引きながら読み解きます(下の「『史記』のなかの徐巿と徐福」も参照)。
- 司馬遷『史記』
- 「始皇本紀」の徐巿
- 「淮南衡山列伝」の徐福
- 第7章176ページ〜
徐福伝説
中国には徐福一行が出航したという伝説があり、韓国には徐福が寄港したという伝説があり、日本には徐福一行が上陸したという伝説がある。
中国(渤海湾・黄海・東シナ海の沿岸)、日本(有明海・南九州・熊野・八丈島・日本海側・富士山周辺など)、韓国の伝説地を整理し、船・航路・潮と風から渡海の実現可能性を検討します。章の最後に、徐福一行の渡海のコースをまとめています。
徐福の時代においても、上手に季節風を利用できたなら大陸から日本列島への航海は十分可能である。
- 中国の徐福伝説
- 日本・朝鮮の徐福伝説
- 渡海の実現可能性について
- 第8章206ページ〜
仮説をたて疑問をとく
二つの仮説(仮説1「プロジェクトの動機は過去の占いにあった」、仮説2「天孫降臨神話と徐福伝説は関連づけられる」)を立て、「はじめに」の三つの疑問と第3章・第6章で挙げた五つの新たな疑問、あわせて疑問①~⑧を解釈します。最後に、徐福一行が日本にもたらしたものとして、人の数の影響、布都御魂、纏向遺跡、八丈島のミトコンドリアDNAを取り上げます。
徐福一行が日本列島にやってきたという確かな証拠は今のところ発見されていない。しかし、その証拠が人の体のなかに受け継がれているかもしれないと思うと、なにかしらロマンを感じる。
- 仮説の設定
- 疑問①~⑧の解釈
- 徐福一行が日本にもたらしたもの
『史記』のなかの徐巿と徐福
徐福は、司馬遷の『史記』の「始皇本紀」では「徐巿」、「淮南衡山列伝」では「徐福」と書かれています。第6章では、二つの記述を年代を追って読み、そこに書かれていないことにも目を向けます。
紀元前221年始皇二六年
斉王建が共の地に移されて虜となり、斉が滅ぶ。(本書154ページ)
紀元前219年始皇二八年
一度目の謁見。斉人の徐巿らが上書し、始皇帝は童男童女数千人を出して海上に僊人を求めさせた。本書は、この条には「徐巿が出発した」とは書いていないことに注目します。(本書154〜156ページ)
紀元前215年第4回巡行
始皇帝は渤海に面する碣石まで行くが、徐巿には会っていない。本書は、徐巿らが渡海のための事前調査に日本列島へ行き、中国にいなかったと考えます。(本書160ページ)
紀元前212年始皇三五年
方士の侯生と盧生が逃げ出した条で、始皇帝は徐巿らに費やした金が巨万に達するのに仙薬を得られないと怒る。(本書158〜161ページ)
紀元前210年始皇三七年
二度目の謁見。徐巿らは、蓬莱では神薬を得られるが大鮫に苦しめられて島に行けないと申し出て、上手な射手を願う(本書はこの大鮫をクジラと考えます)。この年の七月、始皇帝は沙丘の平台で死去。(本書161〜164ページ)
その翌年から
陳勝が反乱を起こし、各地の諸侯が王を名乗る。斉では紀元前208年、旧王族の姓をもつ田儋が王となる。(本書125ページ)
約九〇年後「淮南衡山列伝」
淮南王劉安の謀反に反対する将軍伍被が、秦の時代に民心が離れた例の一つとして、良家の男女三千人を連れて海を渡り帰らなかった徐福を挙げる。(本書166〜169ページ)
しかし、本書では、始皇帝の前で話した人物の行動と考えている場合は徐巿を使い、平原・大沢の王となった人物または広く一般的な意味で書く場合は徐福と使い分ける。書き分ける理由は日本の徐福伝説に、徐福が王になったという言い伝えがほとんど残っていないためである。私は始皇帝に謁見した徐巿と、平原大沢の王になった徐福は別人と考えている。
「徐巿」の「巿」は、市場の「市」(五画)ではなく、四画の字です(本書155ページ)。
はじめに試し読み
はじめに
私が「神武」と「徐福」に関心を持ったのは、和歌山県の南紀熊野ジオパーク立ち上げのころだった。ジオパークは大地の公園という意味で、人が大地に触れその関わりと暮らしについて、人との交流を通じて考えることが大切。高知の室戸ジオパークでは、ガイドが空海を登場させ大地の隆起を説明していた。和歌山は、熊野が神武東征の経路になっており、大地との関わりがみつかるかと思い、『古事記』を読んだのがきっかけだった。読んで驚いた。
(中略)
さて、神武東征は、神武一行が南九州の日向から、安らかなクニを求めて東に向かう物語である。途中、大阪の難波から東の方にある生駒山の麓に進軍するが、そこで、登美の那賀須泥毘古(以後ナガスネ)の急襲にあい、ジンムの兄の五瀬命(以後イツセ)の手に矢があたり、イツセは「日に向かって戦うのは良くなかった。遠回りして、日を背にして敵を撃とう。」と言い残し死ぬ。そして神武一行は南下し、熊野村(和歌山県新宮市)で霊剣を得て、八咫烏(大きな烏)に道案内され、兄宇迦斯や土雲八十建(土着の数多くの勇者)を討伐し、最後にヤマトでナガスネと戦うことになる。
戦いのまえ、ナガスネはジンムに会見し、主である饒速日命(以後ニギハヤヒ)が天神の子である表として、天の羽羽矢(蛇の呪力を負った矢)と歩靫(矢を背負う道具)を見せた。するとジンムもまた天の羽羽矢と歩靫をみせた。ナガスネはそれを見て、畏まったが改心しなかった。主のニギハヤヒはナガスネを殺し、ジンムに帰順し神武東征は完了する。ジンムは橿原宮で初代天皇に即位する。
この物語のなかでいくつか疑問を持った。
【疑問① イツセは、なぜ「日に向って戦うのは良くなかった」、と思ったのか】
神武一行は難波から東の方にある生駒山麓に船で進軍している。東に向かっているのだから朝方なら日に向かうのは当然。当時の大阪平野は現在のように開発されておらず、蛇行した川の周りに樹木が多く生えていただろうから、太陽の光が樹木に遮られ太陽は見えにくいはず。それなのに「日に向って戦うのは良くなかった」、と思うだろうか。なぜ、迂回しなければと思うほど強い印象を持ったのだろうか?
【疑問② 地図もないのに、なぜ熊野まで南下したのか】
当時、地図はない。今の時代でこそ地図があり、紀伊半島南東部の熊野をぐるりと回り、ヤマトに行き着けると考えても不思議ではないが、地理感もない土地で南に進みナガスネの背後に回れると思うのはどうかしている。敵の背後に回ることが目的なら、紀の川を上ればよい。また、紀伊水道を南下する途中に、東に向かういくつもの大きな川がある。熊野に行きたかったとしか思えない。(図44参照)
【疑問③ どうして、ジンムとナガスネは同じようなものを持っていたのか】
ジンムとナガスネが会見したとき、二人は知らない者どうしであった。どうして、その知らない者どうしが見て確認し合える(同じようなもの)矢と靫を二人が持っていたのか?
これらの疑問を解く鍵は、徐福伝説が関係しているのではないかと思い調べた。まず、ジンムと徐福が共通する舞台は弥生時代の西日本である。弥生時代の西日本は大陸からの文化が大量に入ってきていた。その前の縄文時代は西日本の人口が東日本の十分の一程度と少なく、文化的にも西と東に違いがあった。しかし、その前の後期旧石器時代のはじめは古本州島(旧石器時代の本州・四国・九州は陸続きだった)全域、均質な文化だった。もっと前、地質年代に遡ると、東日本と西日本の大地のつくりが大きく違っていた。
また、神武東征より三世代前の物語となる天孫降臨神話は、弥生時代の南九州が舞台である。天孫(天津神)が海の彼方からやってきているので、そのころの中国や朝鮮半島の情勢についても踏まえておきたい。そのうえで、司馬遷の『史記』に記された徐福(または徐巿)、中国・日本の徐福伝説を概観し、徐福一行の渡海の実現可能性について考察した。最後に、渡海の動機について、また天孫降臨神話と徐福伝説が関連づけられるとした仮説を立て、前述の三つの疑問点、さらに古代史で疑問とされていることも解いた。以下の順で説明してゆきたい。
1.まずは大地の物語から
2.弥生時代までの日本列島
3.天孫降臨と神武東征
4.古代の中国
5.古代の朝鮮半島
6.『史記』のなかの徐福
7.徐福伝説
8.仮説をたて疑問をとく
本書3〜8ページ「はじめに」より(松本 司)。(中略)の部分では『古事記』の一場面が引かれています。本書では神武天皇を「ジンム」と書いています。
詳しい目次
- はじめに3ページ
- 1.日本は二本だった(日本列島の誕生)18ページ
- 2.地球規模の大気の流れと気候変動24ページ
- (1)地球が回っているから人が住める環境になっている24ページ
- (2)地球規模の変化と気候変動26ページ
- 3.ホモ・サピエンスの誕生とグレートジャーニー31ページ
- (1)人は二足歩行することで喋れるようになった31ページ
- (2)日本人の祖先はおよそ二万年かけアフリカから日本列島にやってきた35ページ
- 4.日本人のDNA39ページ
- (1)女の系統はミトコンドリアDNA40ページ
- (2)男の系統はY染色体DNA45ページ
- 5.孤立した言語(日本語)46ページ
- 1.後期旧石器時代52ページ
- (1)自然環境53ページ
- (2)すでに長距離物流が始まっていた54ページ
- (3)日本列島の後期旧石器時代は独自性の高い文化だった57ページ
- 2.縄文時代59ページ
- (1)自然環境と森林植生の変化59ページ
- (2)縄文土器61ページ
- (3)縄文人の生活62ページ
- (4)三内丸山遺跡65ページ
- 3.弥生時代67ページ
- (1)弥生文化68ページ
- (2)戦争のはじまり70ページ
- (3)板付遺跡とその周辺71ページ
- 4.徐福は稲作を日本に伝えていない74ページ
- (1)イネの原産地(長江流域)75ページ
- (2)熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカ77ページ
- (3)イネの伝播80ページ
- (4)縄文時代のある稲作の風景87ページ
- (5)畦畔による階段式水田稲作は日本独自のもの91ページ
- 1.天孫降臨95ページ
- 2.神武東征101ページ
- 3.『古事記』と『日本書記』の違い105ページ
- 4.『記紀』編纂の背景106ページ
- 5.天皇号、日本国号、辛酉革命109ページ
- (1)『記紀』編纂時には「神武天皇」の言葉はなかった110ページ
- (2)弥生時代に「日本」という名の国はなかった111ページ
- (3)辛酉革命111ページ
- 1.黄河文明と長江文明114ページ
- (1)黄河文明(黄河流域)115ページ
- (2)長江文明(長江流域)117ページ
- 2.始皇帝が生きた時代とその後119ページ
- 3.斉の国122ページ
- 4.封禅と神仙思想125ページ
- (1)古代中国の神仙思想125ページ
- (2)日本への影響127ページ
- 5.大陸と日本列島のつながり128ページ
- (1)中国大陸沿岸部に登場する倭人と航海術129ページ
- (2)海人族の存在131ページ
- 1.古代の朝鮮半島134ページ
- (1)自然環境134ページ
- (2)古代朝鮮の歴史と倭135ページ
- (3)百済138ページ
- 2.中国の文献にみる古代の朝鮮半島と倭139ページ
- (1)『山海経』140ページ
- (2)司馬遷『史記』140ページ
- (3)班固『漢書』141ページ
- (4)陳寿『三国志』142ページ
- (5)范曄『後漢書』145ページ
- 3.朝鮮半島南端の滅んだクニ146ページ
- (1)縄文・弥生時代の一体感146ページ
- (2)滅んだクニ148ページ
- 1.司馬遷『史記』150ページ
- 2.「始皇本紀」の徐巿153ページ
- (1)一度目の謁見 始皇二八年(紀元前二一九年)の条154ページ
- (2)方士の活動について156ページ
- (3)始皇三五年(紀元前二一二年)の条158ページ
- (4)二度目の謁見 始皇三七年(紀元前二一〇年)の条161ページ
- 3.「淮南衡山列伝」の徐福166ページ
- (1)将軍伍被の諫言166ページ
- (2)出航前と出航後で渡海の内容が異なる169ページ
- (3)劉安が編纂した『淮南子』172ページ
- 1.中国の徐福伝説176ページ
- (1)渤海湾沿岸178ページ
- (2)黄海沿岸179ページ
- (3)東シナ海沿岸180ページ
- 2.日本・朝鮮の徐福伝説182ページ
- (1)徐福一行が目的地とした伝説地184ページ
- (2)嵐などによって漂着した場所での伝説187ページ
- (3)上陸後しばらくしてからの伝説189ページ
- (4)韓国の徐福伝説191ページ
- 3.渡海の実現可能性について192ページ
- (1)船について192ページ
- (2)航路について193ページ
- (3)潮と風195ページ
- (4)徐福一行の渡海のまとめ202ページ
- 1.仮説の設定206ページ
- (1)仮説1:プロジェクトの動機は過去の占いにあった206ページ
- (2)仮説2:天孫降臨神話と徐福伝説は関連づけられる209ページ
- 2.疑問①~⑧の解釈209ページ
- 【疑問① イツセは、なぜ「日に向って戦うのはよくなかった」と思ったのか】209ページ
- 【疑問② 地図もないのに、なぜ熊野まで南下したのか】210ページ
- 【疑問③ どうして、ジンムとナガスネは同じようなもの持っていたのか】212ページ
- 【新たな疑問④ 平定した葦原中国(出雲)でなく、日向に降臨】213ページ
- 【新たな疑問⑤ 降臨直前に、オシホミミからニニギに交代】214ページ
- 【新たな疑問⑥ どうして、伊勢に関係の深いサルタが南九州で待っていたか】215ページ
- 【新たな疑問⑦ 「東の方に行こう」といいながら、なぜ、逆方向に進んだか】216ページ
- 【新たな疑問⑧ なぜ、始皇帝の死後、プロジェクトが実行されたか】218ページ
- 3.徐福一行が日本にもたらしたもの219ページ
- (1)人の数の影響について219ページ
- (2)布都御魂が意味するもの222ページ
- (3)纏向遺跡について223ページ
- (4)八丈島のミトコンドリアDNA226ページ
- あとがき228ページ
- この本を娘に捧げる232ページ
- 引用文献・参考文献一覧236ページ
- 図版出典一覧248ページ
本書9〜17ページ「目次」のとおり(数字は本書のページ)