論文・学術書
渋江保の民権思想
―戦史思想と万国戦史の意義―
渋江は侵略者としての立場ではなく、弱者としての立場から戦史を執筆した。
森鴎外の史伝『渋江抽斎』の資料提供者として知られる渋江保は、教育者、ジャーナリスト、著述家、自由民権家として明治期に活躍した人物でした。本書は渋江保を自由民権家として捉え直し、清末中国の留学生や革命家に大きな影響を及ぼした代表作『万国戦史』の意義を論じます。

渋江保とは
渋江保は、津軽藩の定府医官であった渋江抽斎の実子です。森鴎外の史伝『渋江抽斎』の資料提供者であるというのが一般的な評価ですが、本書は、渋江保が単なる資料提供者ではなく、教育者、ジャーナリスト、著述家、自由民権家として日本の明治期に活躍した人物であったことに光を当てます。
- 教育者英学校や私塾など十校で英語などを指導しました。浜松瞬養学校の教頭、宝飯中学校の校長兼英語教師を務め、静岡では三つの英学校と渋江塾、英学研究所で英語を教えました。
- ジャーナリスト東京横浜毎日新聞の編輯員となり、外山正一と主権論・普通選挙論争を行いました。静岡では東海暁鐘新報の編輯主任、暁鐘新報の主筆として才筆を振るいました。
- 著述家博文館で十余年にわたり書籍を翻訳・出版。代表作が『万国戦史』です。その後も大学館・三才社・神誠館から数多くの著作を出し、生涯の著作は一部の雑誌も含めて195冊に及びます。
- 自由民権家宝飯中学校時代に武田準平と進取社を組織して社長となり、三河・尾張地方を演説して回りました。静岡時代にも、自由民権運動の啓蒙家として活躍しました。
本書が問い直す、これまでの評価
「はしがき」では、今井宏、藤元直樹らによる渋江保と『万国戦史』への評価を一つずつ取り上げ、その当否を問いかけています。
渋江保の歩み
本書巻末の資料「渋江保交友関係一覧表」による時代区分と、各時代に交友のあった主な人物です(括弧内は表の記載のとおりで、幼少時代・弘前時代の「経書」「筆札」「素問」は渋江が教えを受けた学問)。
- 幼少時代江戸1857年7月〜1868年4月渋江抽斎(父)、渋江五百(母)、海保漁村(経書)、小島成斎(筆札)、多紀安琢(素問)
- 弘前時代弘前1868年4月〜1871年3月兼松石居(経書)
- 第一次修学時代東京1871年3月〜1875年1月尺振八(共立学舎創設者)、島田三郎・田口卯吉ら(共立学舎で学んでいる)、末松謙澄(東京師範学校学友)
- 浜松時代浜松1875年2月〜1879年10月大江孝文(浜松県、学務課長兼庶務課長)、山田要蔵(教え子)
- 第二次修学時代東京1879年10月〜1881年7月福沢諭吉・小幡篤次郎・阿部泰蔵(慶応義塾関係者)、犬養毅(慶応義塾学友)
- 宝飯中学校時代豊川市1881年8月〜1882年12月加藤幸三郎(宝飯中学校関係者)、武田準平(進取社副社長)
- 東京横浜毎日新聞時代東京1883年1月〜1885年12月島田三郎・沼間守一(東京横浜毎日新聞関係者)、外山正一(教育者)、中江兆民(思想家、ジャーナリスト)
- 静岡時代浜松市・静岡市1885年12月〜1890年3月栗田輝永(静岡大務新聞監督)、山路愛山・松本亀次郞・上田敏(教え子)
- 博文館時代東京1890年3月〜1901年大橋佐平・大橋新太郎・坪谷善四郎(博文館関係者)
- 大学館時代〜晩年東京1903年〜1930年4月森鴎外、山路愛山(教え子)、劉成禹(中国人)
※ 本書は渋江保の生年を定説に従って1857年(安政4年)7月26日としていますが、第一章では、実際には1851年(嘉永4年)7月26日生が真実の生年であると述べています。
書誌情報
- 書名
- 渋江保の民権思想 ―戦史思想と万国戦史の意義―
- 著者
- 山本 勉
- 判型・ページ数
- 並製本・A5判・270ページ
- 定価
- 1,200円(本体1,091円+税)
- 発売日
- 2023年9月30日
- ISBN
- 978-4-86741-154-4
- 発行
- ブイツーソリューション
渋江保の民権思想