本の紹介
どんな本?
本書は、秦の始皇帝と、始皇帝の命を受けて東方の海に旅立った斉の徐巿(徐福)を描いた小説です。司馬遷『史記』では「始皇本紀」が「徐巿」、「淮南衡山列伝」が「徐福」と書いており、本書は始皇帝の面前に立った人物として「徐巿」の文字を使っています(本書12ページ)。
第一章・第二章では、秦の台頭と始皇帝の中国統一、そして徐巿の故国・斉の盛衰を、故事や会話を交えてたどります。第三章からは、剣の修行と諸国の旅を経た徐巿が、蓬莱をめざす物語が始まります。巻末の第八章「エピローグ」では、中国・韓国・日本に残る徐福伝説を整理し、徐福船団の渡海のイメージを描いています。
巻頭に「主な登場人物」の一覧(司馬遷『史記』での主な登場か所つき)、巻末に参考文献があります。
試し読み
本書の冒頭
一.春秋戦国時代の戦い
この小説は、古代中国、春秋戦国時代の戦乱を終わらせた秦の始皇帝と、始皇帝を欺き遥か東方の海に旅立った斉の徐福(徐巿)の物語である。
司馬遷『史記』の徐福に関する記述は「始皇本紀」「淮南衡山列伝」にみえ、「始皇本紀」では「徐巿」の文字が使われ、「淮南衡山列伝」では「徐福」の文字が使われている。「巿」は儀式のときにつける前掛けのことで、市場の「市」の五画ではなく四画(﹅でなく、たてぼう)。ここでは始皇帝の面前に立った人物として「徐巿」の文字を使う。
本書12ページ、第一章「一.春秋戦国時代の戦い」の冒頭より
第三章の書き出し
十一.徐巿の諸国行脚
徐巿は斉の建王の時代、琅邪(山東省東南部と江蘇省東北部にまたがる地域)の徐福邑(江蘇省贛楡県)で生まれた。徐家の二男で幼いころ母親の手ほどきで剣術を覚え、母は剣士と呼んだ。剣術を学んだことで「戦ごっこ」が得意だった。「戦ごっこ」は童二十人ほどが敵と味方に分かれて戦い、木剣で一撃されると脱落、敵の大将を一撃すれば勝ちという遊び。徐巿はいつも大将でほとんど負けることがない。邑の人は「戦ごっこ」を見て徐巿が犬のようにすばやいことから「犬子」と呼んでいた。
今日は河原でいつものように二組に分かれた。徐巿が強すぎたのでハンディキャップを付けられ、徐巿の組の人数は少ない。徐巿方七人、敵方十三人。敵の大将の野邦はいつも徐巿と仲が良いが、「戦ごっこ」をするときだけは敵対した。
「さあ、始めるか」と言うと、徐巿が、
「今日も覚悟しておけ」と応える。
本書116ページ、第三章「十一.徐巿の諸国行脚」の冒頭より(松本 司)
第一章の謁見の場面はトップページで読めます。続きは本書でお読みください。
各章の内容
- 第一章11ページ〜
秦の始皇帝と徐福(徐巿)
春秋戦国時代の戦争のあり方から、秦の台頭、始皇帝による中国統一とその施政までを、故事や会話を交えてたどります。章の終わりの第二回巡幸では、琅邪で海の彼方に揺れて消える山を見た始皇帝が、蓬莱に行ってきたという安期先生の話を聞きます。そして謁見に現れた徐巿に、童男童女数千人を連れて蓬莱に行き、僊人を捜して不老不死の薬を求めるよう命じます。
- 一.春秋戦国時代の戦い
- 二.秦の台頭
- 三.始皇帝の中国統一
- 四.始皇帝の施政
- 五.第二回巡幸(徐巿一回目の謁見)
- 第二章63ページ〜
斉の盛衰
「徐巿(徐福)は斉の人。しばらく斉の国について触れたい。」——徐巿の故国・斉の歴史をたどる章です。田氏の斉(田斉)の成り立ち、隣国・燕の動乱への介入とその報復、即墨の戦いでの田単の反撃、そして秦に追従した建王の時代までを描きます。
- 六.田斉
- 七.斉が隣国(燕)の動乱に付け込む
- 八.燕の復讐
- 九.即墨の戦い
- 十.斉の建王(占い、そして秦に追従)
- 第三章115ページ〜
徐巿と安期先生
琅邪の徐福邑に生まれた徐巿は、「戦ごっこ」で負けた老人——趙の将軍だった慶舎先生のもとで剣の修行を積み、諸国を巡る旅に出ます。韓信との手合わせ、安息国の商隊との旅。帰郷して、幼いころ会稽で出会った巫女の佳(蘭)と結婚しますが、斉は秦に滅ぼされます。やがて斉の元宰相・后勝と安期先生が再会し、蒯通の策から、徐巿を始皇帝のもとへ送る計画が生まれます。
- 十一.徐巿の諸国行脚
- 十二.徐巿の結婚
- 十三.秦が斉を滅ぼす
- 十四.后勝と安期先生の再会
- 第四章171ページ〜
蓬莱はどこだ
始皇帝の命を受けた徐巿たちは、まず九人で、中型帆船で蓬莱を探しに出ます。朝鮮半島の西岸を南下し、耽羅で海人族のアズミを案内役に迎え、有明海の吉野ヶ里、南九州の大隅や屋久島、そして伊勢へ。伊勢湾で一行は盗賊に襲われ、后勝は命を落とします。帰路は嵐で台湾に流れ着き、大陸の沿岸を北上して琅邪に帰ります。
- 十五.始皇帝の命令がでたぞ
- 十六.蓬莱はどこだ(有明海・南九州)
- 十七.后勝の死(伊勢湾)
- 十八.中国へ帰還
- 十九.帰国後の報告と次回準備
- 第五章225ページ〜
会稽(杭州湾)から大型帆船で蓬莱に行けるのか
いよいよ大型帆船で、会稽(杭州湾)から蓬莱へ。三昼夜の航海で五島列島の島影を見た徐巿たちは、有明海・南九州・伊勢湾で、童男童女の受け入れについて交渉します。一方、徐巿に会おうと巡幸に出た始皇帝は、博浪沙で張良による暗殺未遂に遭います。帰路、嵐に遭った大型帆船は岩礁に当たって大破し、生き残った一行は丸木舟を作って帰国をめざします。
- 二十.会稽(杭州湾)から出航
- 二一.始皇帝の第三回巡幸(暗殺未遂)
- 二二.有明海、南九州、伊勢湾での交渉
- 二三.帰路での遭難
- 二四.第四回巡幸(渤海湾の帆船を眺める)
- 二五.帰国そして東渡準備
- 第六章289ページ〜
始皇帝の生と死
呂不韋と趙姫、子楚をめぐる始皇帝の出生、荊軻・高漸離・張良らによる暗殺未遂事件、そして幼いころに聞いた西王母と「僊人」の話から始まる始皇帝の死生観をたどります。第五回巡幸で徐巿と二度目の接見をした始皇帝は、その旅の途中、沙丘の平台で亡くなります。
- 二六.始皇帝の出生
- 二七.始皇帝暗殺未遂事件
- 二八.始皇帝の死生観
- 二九.第五回巡幸(徐巿との二回目の接見)
- 第七章337ページ〜
蓬莱へ出航
始皇帝の死後、趙高の陰謀で秦の宮廷は崩れ、陳勝・呉広の叛乱をきっかけに各地で兵が挙がります。その混乱のなか、徐巿は船団の積み荷を狙う企てをかわし、大船団で蓬莱へ出航します。章の最後の「ある家族の物語」は、童男童女の名簿に載り船団に乗る少女・美加と、その家族の物語です。
- 三十.秦帝国の内部崩壊
- 三一.陳勝の叛乱が波及
- 三二.蓬莱へ出航
- 三三.ある家族の物語
- 第八章389ページ〜
エピローグ
楚漢戦争のなかで再興した斉が滅ぶまでを描き、続く「徐福伝説」では、中国・韓国・日本に残る徐福伝説を整理しています(このページの下の「徐福伝説と、本書の渡海のイメージ」)。
- 〇楚漢戦争のなか再興した斉が滅ぶ
- 〇徐福伝説
主な登場人物
秦の宮廷
- 政→秦王政→始皇帝
- 中国を統一し不老不死の薬を求める
- 子楚→荘襄王
- 始皇帝の父
- 趙姫→王后→太后
- 政を生む(荘襄王の王后)
- 呂不韋
- 子楚を秦王にする
- 李斯
- 始皇帝のときの丞相
- 趙高
- 宦官、二世胡亥を操る
- 二世胡亥
- 趙高に操られる
徐巿とその周り
- 徐巿(徐福)
- 始皇帝の命を受け蓬莱に行く
- 安期先生
- 蓬莱を知る(伝説の方士)
- 蘭→佳
- 徐巿の嫁
- 徐雪文
- 徐巿の母
- 楊摎
- 徐巿の祖父(秦の五大夫)
- 慶舎
- 徐巿の剣の師匠(趙の元将軍)
- 野邦
- 徐巿の幼友達
- 蒯通
- 安期先生の友人(韓信の参謀)
- 韓信
- 徐巿と手合わせする(漢三傑の一人)
斉の国
- 君王后
- 建王の母(斉の襄王の王后)
- 斉の建王
- 斉が秦に滅ばされたときの王
- 后勝
- 斉の建王のときの宰相
- 田安
- 斉の建王の孫(済北王)
- 田秀
- 斉の建王の甥
琅邪・会稽と船出
- 殷通
- 琅邪郡守→(会稽郡守)
- 勾一践
- 殷通の従弟
- 張良
- 始皇帝の暗殺を企てる(漢三傑の一人)
- 田震、徐巽
- 武人
- 張、乾、坤
- 帆船の操縦士
- 卓吉
- 琅邪の漁師
- アズミ
- 耽羅の海人族
蓬莱の人びと
- ミコ様
- 吉野ヶ里の首長
- ゲン
- 吉野ヶ里の長老
- 山の王(大隅の首長)
- 蓬莱の大神
- 種子島の長老
- 蓬莱の海神
- おイセ様
- 伊勢の首長
- サルタ
- 伊勢の海人族
本書7〜9ページ「主な登場人物」より(人物の分け方はこのサイトによるもの。本書の一覧には、司馬遷『史記』での主な登場か所も示されています)
徐福伝説と、本書の渡海のイメージ
中国には徐福一行が出航したという伝説があり、韓国には徐福が寄港したという伝説があり、日本には徐福一行が上陸したという伝説がある。
第八章で著者は、日本列島に二十か所以上ある徐福伝説地を、次の三つに分けて整理し、あわせて韓国の伝説にも触れています。徐福一行の渡航の目的地は、有明海地域・南九州地域・伊勢湾地域だったと考えています。
(1)徐福一行が目的地とした伝説地404〜407ページ
- 有明海地域(佐賀市の金立神社・浮盃の地名、武雄市・八女市など)
- 南九州(串木野市、宮崎市など)
- 伊勢湾(たどり着けなかった目的地)
(2)嵐などによって漂着した場所での伝説407〜409ページ
- 熊野地域(新宮市の徐福の墓、熊野市波田須)
- 八丈島
- 日本海側(丹後半島の伊根町、男鹿半島の男鹿市、津軽半島の旧小泊村)
(3)上陸後しばらくしてからの伝説409〜410ページ
- 富士山周辺
- 瀬戸内海域(祝島、旧宮島町)
(4)韓国の徐福伝説410ページ
- 南海島の摩崖石刻「徐巿起礼日出」
- 済州島・西帰浦の正房瀑布の刻字「徐巿過此」
本書が描く「徐福船団の渡海イメージ」
- 杭州湾出航のあと好天に恵まれ、南西季節風を受けて三日〜四日で東シナ海を渡る。船団の多くは無事九州に着く
- 有明海船団の三分の一が入る
- 南九州三分の一が上陸する
- 伊勢湾へ残りは最終目的地の伊勢湾に向かうが、熊野灘で嵐に遭い遭難。熊野に漂着したものも、八丈島に漂着したものもいた
はぐれた船真夜中に船団からはぐれた船は、南西風と対馬海流に流され、日本海側の丹後半島や青森に漂着した
徐福船団の東渡は古代中国の大航海の魁だった。
渡海のイメージは本書411ページの記述の要約です。伝説地の整理と渡海のイメージは、いずれも本書の考えによるものです。